【2015ドイツ旅行】社会見学:1945ベルリンの戦い、最終地

08-23,2015

ヨーロッパ戦線の最終目的地となった、ベルリンの心臓部。



Reichstagsgebäude(国会議事堂/ライヒスターク)
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”ソビエト兵がライヒスタークをその視野にとらえたときから、勝利はもはや掌中のものとなった。
しかし、敵の将兵は負けることなど考えてはいなかった。”
ベルリンの戦い1945/Peter Antill著、三貴 雅智 翻訳 より





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1894年 完成

1933年 謎の出火で全焼 修復されず

1943年 ベルリン大空襲で被災

1945年 ソ連兵が突入、壮絶な白兵戦の舞台となる



破壊されつくされた国会議事堂(1945年6月3日撮影)がこちら



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Reichstagsgebäudeより



ヨーロッパの終戦記念日は1945年5月8日、約一か月後に撮影された生々しい写真です。



さて、このライヒスタークを巡って1945年4月28日から5月2日に繰り広げられた攻防戦において
ドイツ兵にとっても、ソ連兵にとっても最後の橋となったのが、中央駅の前にかかる赤いレンガのモルトケ橋(Moltkebrücke)。



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左側がライヒスターク、右側が中央駅です。



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橋を守るドイツ軍の必死の抵抗でソ連軍は前進を阻まれるが、とうとう4月29日早朝、ソ連軍が橋を渡るのに成功した。
橋のたもとにはいまも弾痕が残っているそうです。



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橋のたもとから、ライヒスタークまでは直線で約530m。
4月29日の早朝にソ連軍がモルトケ橋を渡ってから、ライヒスタークへ突入したのが4月30日の18時と記録されている。
530mを約1日半かけての進軍。ドイツ軍の抵抗は凄まじかった。



ライヒスタークの側から、中央駅を望む
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熾烈な戦いの場であったここは、広場になっている。



朝8時のモルトケ橋、朝日にびよーんと伸びる影
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ソ連軍が突入した国会議事堂の一階は凄絶な白兵戦が開始され、"死のるつぼと化した"。
そして4月30日の22時50分、ソ連軍の突入から約5時間後、国会議事堂の屋上にはじめてソ連の赤旗がたなびいた。



ちなみに歴史的なこの写真



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Raising a flag over the Reichstagより



”ライヒスタークの赤旗”ですが、実際に撮影されたのは赤軍が国会議事堂を完全制圧した5月2日です。
4月30日の赤旗掲揚は深夜であり撮影ができず、また、ドイツ軍の抵抗が続いており、立てた旗がドイツ軍により奪われました。



この写真は修正されているのも有名で



capture-20150821Raising a flag over the Reichstag
Raising a flag over the Reichstagより



旗を持っている人を足元で押さえている人(イスマイロフ軍曹)がいるのですが、
オリジナル写真(上)では両手に腕時計。
田舎からやってきたソ連軍兵士が、文明の先進国ドイツで手当り次第略奪したのは有名な話で、ソ連兵はそこらで奪った腕時計を両手にじゃらじゃらつけていたんだとか。
それで、イスマイロフ軍曹も両手に腕時計。しかし、世界に発信する写真がこれではまずかろうと、修正されたのが下。
そのほか修正版ではより劇的な演出のため、煙も合成されているそうです。



WW2のヨーロッパ最終決戦の地となったここは、いま



昼間のモルトケ橋とシュプレー川
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1999年に大規模な修復を経て完成した国会議事堂
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国会議事堂見学ツアーが終わって出てくる人たち
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ライヒスターク見学ツアーは要予約で参加できます。
なんといっても、頂上のガラスドームの中が見学できるのが目玉のこのツアー。
友人が行った写真を見せてもらっていたので今回は行きませんでした。



1894年に最先端の技術でつくられたガラスドーム
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観光客で賑わうベルリン市内。いまも、戦争の爪痕が多く残されています。



ベルリンの中心地にある、弾痕だらけの建物
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@Ev. Kirchengemeinde Sophien



道路を走る、ベルリンの壁の跡
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ユダヤ人の老人ホームがあった場所に掲げられたプレート。
”ゲシュタポはここに55,000人のベルリンのユダヤ人を押し込み、アウシュヴィッツやテレージエンシュタットへ送って情け容赦なく殺した”
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@Berlin, Mitte, Große Hamburger Straße 26



カイザー・ヴィルヘルム記念教会
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今年は戦後70年ということで、戦争関連の報道が多くなされました。
終戦の日に、ご自宅で、職場で、黙祷された方も多かったと思います。
第二次大戦の敗戦国となった日本とドイツ。本丸がおかれていた東京とベルリンを思い気付く点は、東京よりもベルリンのほうがずっと、街中で戦争の爪痕を目にする機会が多いということでした。
こうして人の記憶にいつまでも残っていくのだと思います。
焼け野原になった東京と、瓦礫の山になり、その後分割統治されたベルリン。
背景や経過はまったく違うとはいえ、学ぶところは多くあるように思いました。

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